君がために
勝浦の周りを散歩に出かけていた望美とヒノエは宿に帰ってくるなり同時に声を上げた。
「ヒノエくんは何も分かってない!」
「望美こそ。なんにも分かってないね。」
仲睦まじく出かけていった二人の、言い争う姿に宿の者達は目を見張った。
何事であろうか?
しばらく静観しようとしていたが、過熱する口論を店先でされるのはあまり喜ばしいものではない。
番頭のような男が止めに入ろうとしたとき。
「大体、ヒノエくんなんか好みじゃないんだから!!」
そう、望美が吐き捨てた事により口論は止まった。
ヒノエはしばし沈黙した後、
「・・・・・そうかよ。」
と、だけ呟き背を向けて宿を出て行った。
望美は靴を脱ぎ、駆け足で宿の奥へと下がっていく。
一連の流れを見ていた者達はポカンと口を開けていた。
「なんで、あんなこと言ったんだろう。」
望美は後悔していた。
本当は大好きなヒノエに、『好みじゃない』なんて言葉を言ってしまった自分を責めた。
熊野は彼の故郷というのは知っている。
だから、馴染みの人間が居るのは当たり前だ。
男も、女も。
そして、きっと昔の恋人も居るのだろう。と。
そんな事、分かってたハズなのに・・・・・・。
けれど、目の前で他の自分の知らない女性と仲良くされると。
「サイテー・・・・・。」
嫉妬して、ヒノエに八つ当たりをしてしまった。
「ゴメン。ヒノエくん・・・・・。ゴメンね・・・・・。」
嗚咽をこぼしながら、届かない謝罪を口にする。
その時、廊下から人の足音が聞こえた。
「・・・・朔?」
宿の店先で騒いだ事を知り、来てくれたのだろうか?
望美は鼻を啜る。
「朔。・・・・騒いでゴメンね。」
返事は無い。
それでも望美は続ける。
「ヒノエくんと・・・・・ケンカしちゃったんだ。嫌われちゃったかな?」
へへへ。と頼りなく望美は笑った。
「散歩中に、ヒノエくんが凄くキレイな人と話してて・・・・・それに嫉妬して八つ当たりしちゃって。」
その女性とヒノエはとても親しげに話をしていた。
話の内容は何やら昔の事のようで、ヒノエも笑顔で話していた。
望美には分からない会話。
自分の知らないヒノエをこの人は知っている。
悔しさが心に満ちてくる。
そんな気持ちになる自分が嫌。
そう思ってる時にヒノエが彼女に向かってこう言った。
『お前はいつまでも綺麗だね。』
望美は愕然とした。
今まで、そういう類の言葉は自分にだけ言ってくれていると思ってたのに。
望美は悲しくて泣きそうなのを必死に堪えた。
なのに。
宿に着きそうな時。
ヒノエは望美の腰に手を回した。
「愛しの神子姫との逢瀬がもう終わりだなんて寂しいね。もう少し二人で居ないかい?」
その言葉に望美はカチンときた。
「・・・・誰にでも、そう言うんだね。」
静かな口調で望美は言う。
涙を堪えるのが大変で言ってる言葉を考慮する余裕が無い。
「望美?」
「誰にでも『好きだ』とか、『愛してる』って言うんでしょ!?」
望美は腰に回されているヒノエの腕を払った。
背を向けたまま、ヒノエから数歩、離れる。
「・・・・・俺が、そんな男に見えるかい?」
望美は返事をしない。
もう、涙を堪え切れなくなっていたのだ。
逃げるように宿の中へ入っていく望美の腕をヒノエは掴む。
「ちょっと、待てよ。」
納得がいかないヒノエの腕をまた振り払うと、望美は大声で叫んだ。
「ヒノエくんは何も分かってない!」
「望美こそ。なんにも分かってないね。」
望美は手で顔を覆った。
もう涙のせいで顔はグチャグチャだ。
流石に、朔にも見せられない。
「朔・・・・・。どうしよう。嫌われちゃったかな・・・・・?」
望美の涙は止め処無く流れてくる。
「私。・・・・ヒノエくんの事・・・・・こんなに好きなのに・・・・。どうしよう?」
シャックリまで出てくる。
一度出た涙はそうそう止まってくれないらしい。
ふと、足音が近付いて手ぬぐいを差し出した。
そして。
「なら。泣き止んで頂けませんか?姫君。」
望美は驚き、顔を上げた。
そこには、嬉しそうな顔のヒノエが手ぬぐいを差し出していた。
「ヒ、ヒノエくん!?いつから居たの!!??」
「何時って・・・・最初から居たよ。神子姫は俺を朔ちゃんだと間違えていたみたいだったけど。」
望美は硬直した。
最初から居たって事は・・・・・・、全部聞かれていたという事。
途端。
望美は真っ赤になり、近くにあった衣を被り隠れた。
「おや?かくれんぼかい??」
ヒノエはクスクスと笑う。
「な、なんで、朔じゃないって教えてくれなかったの!?」
「まだ怒ってるかな、と思ってね。」
可笑しな格好の望美の横にヒノエは腰を下ろした。
「ねぇ。望美。俺は『美しい』って言葉は誰にでも使うけど、『好きだ』って言葉は一人にしか使わないよ。」
横の衣が少し動く。
ヒノエはクスリと笑った。
「誰だと思う?」
「・・・・誰?」
ヒノエはふわりと、望美の被った衣を取り払い優しく抱き寄せた。
望美の鼻腔にヒノエの香りが満ちる。
「少し意地っ張りで可愛い俺の姫君だけに。」
それは自分の事だと理解するのに、そう時間は掛からなかった。
望美はカァっと赤くなり鼓動も早くなる。
「それから、俺が好みじゃないようだけど・・・・。」
「あ、あれはっ!!」
望美は慌て出した。
早く訂正しないといけない。
あれは嘘だと。
だが、ヒノエは余裕の笑顔を向け
「好みなんて、変えてみせるさ。」
と言い放った。
そのセリフに望美はプッと吹き出す。
「やっぱり、姫君の笑顔が一番綺麗だね。」
「え?また、冗談ばっかり。」
「冗談じゃないさ。」
ヒノエは望美の顎を掴み口付けた。
「愛してるよ。」
熱く見つめられて、望美はハニカんだ笑顔で答える。
「・・・・私も。ヒノエくんが大好きだよ。」
その告白が嬉しくてヒノエは望美をギュッと抱きしめもう一度囁いた。
「愛してる。」
〜あとがき〜
1000打お礼SSでございます。
リクエストして下さった遠村さま。ありがとうございます。
『ヒノ望でケンカした後ラブラブ』ご満足頂けたら嬉しいッス!!
恐らく、出てきたお姉さんはヒノエの邸で働いたりしてたお姉さんで、結婚を機に退職された方デス。
子供も産んでも変わらない姿を見て、思わず「変わんないね〜」的な意味で言ったんでしょうな。

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