恋歌(重衡編)
今はただ 思い絶えなむ とばかりを 人づてならで 言うよしもがな
牢の小さな窓から見えたのは、あの時と同じ。
――――― 十六夜の月。
重衡は思い起こすように微笑んだ。
今、どうしていらっしゃいますか?十六夜の君。
彼は、福原で源氏の戦奉行に捕らえられた。
その身柄は鎌倉へ送り渡され、今はただ、この牢獄でいつ執行されるとも知れない償いを待つのみである。
だが、ここ最近は、珍しい訪問者が彼の元を訪れていた。
何が理由か?目的か?
その真意を重衡は測りかねていた。
しかし。
その意味を知ったところで、自分にはどうすることも出来ない。
この牢獄から抜け出し、あの女性に会うことも叶わぬ身の上。
ただ、死を待つだけならばもう一度会いたい。
そして、別れの言葉のひとつでも、伝えたい。
私の独りよがりの思いでなければ、きっと、貴女は私を待ってくれてるのだろうから。
ふと、牢番の足音が聞こえた。
そして、それとは別の足音も。
「何を、そんなに思い煩っていらっしゃるのかしら。」
穏やかに言うその女性。――――― 北条政子は重衡の牢の前にやって来た。
嫌悪感など、全く備えず、むしろ子供に微笑みかけるように、彼女は重衡に語りかける。
「何処かにいらっしゃる思い人の事でも思っていたの?」
政子に言われ、重衡もフッと哂う。
「えぇ。あの十六夜の月のように美しい方を。」
もう一度見上げた月は神々しく輝いていて、奇跡のような出会いをした女性の面影を浮かび上がらせた。
「まぁ。それでは月が嫉妬してしまうわ。」
政子は面白そうに笑う。
捕縛後も整然とした態度で居続けていたこの青年の、今、月を見上げるこの瞳は何とも興味深い。
熱く見つめる先に、本当に思い人がいるかのようで。
微笑ましく思えてくる。
こんな彼の魂だからこそ・・・・・・。
クスリと、笑いを零した。
「例え月だとて、あの方の美しさには身を引いてしまうでしょう。」
「それほどに美しい女性なのね。」
「えぇ。とても・・・・・。」
「では、会いたいでしょう?」
政子の言葉に、重衡は瞳を曇らせた。
もう一度、彼女はクスリと笑う。
「別れの言葉でも良いから、会って、その女性と話したいのではなくって?」
全てを見透かすような政子に重衡は、ほんの少しの恐怖を覚えた。
だが、ゆっくりと首を横に振る。
「・・・・・・詮無き事です。」
そもそも、彼女が何処に居るのかも分からない。
名前も、素性も。
知っているのは眩いばかりの美しい姿。
そして、悲しい顔。
唯一、会える確証があるとすれば、それは『この先の未来で会える』と言った彼女の言葉だが。
この牢獄の中の私に、一体、どんな未来があると?
重衡は苦しそうに顔を顰めた。
「けれど、思いを馳せるのは忘れられないからではなくって?」
愉快げに政子は口元を綻ばせながら言葉を紡ぐ。
「この先の未来を、見てみたいとは思わない?」
政子の言葉は重衡の耳に、心に甘く降りかかる。
十六夜の姫君。
貴女に会えることが叶うなら・・・・・・。
重衡の顔が絶望から、微かな希望を纏った物に変わった事を見届けると、政子はニッコリと笑った。
「では、私に委ねてしまいなさいな。貴方の全て。そうすれば、貴方の願いを叶えてあげるわ。」
重衡はその笑顔を訝しむように見返す。
「一体、何をお考えです?」
「ふふふ。私、貴方の思いに感動しましたの。応援して差し上げたいだけですわ。」
政子は何の打算も無いかのような笑顔を返した。
「では、今日はもう遅いことですし明日お伺いしますわ。」
そのまま、踵を返し政子は牢を後にしようとする。
ふと、立ち止まり、もう一度重衡に振り返った。
「今宵の十六夜の月をゆっくりと眺めておきなさいな。」
――――― しばしの別れになるのだから。
そう心で呟いて、政子はクスリと笑う。
「政子殿?」
「ふふふ。では、ごきげんよう。」
そして、政子は去っていった。
残った重衡はまた、月を見上げる。
十六夜の君。
もしも、私に『未来』というものがこの先も続いていくのなら、貴女にもう一度会えるでしょうか?
あの夜、光とともに消えてしまった貴女に。
もう一度。
瀬を早み 岩にせかるる 滝川の われても末に あはむとぞ思ふ
〜あとがき〜
いやはや。ホント久しぶりの恋歌シリーズです。
今回は政子さんご登場ですね。
では、では。歌の解説を・・・・。
「今はただ〜」
今となっては「あなたの事を諦めましょう。」という一言だけでも、人伝ではなく、直接告げることは方法は無いだろうか?
せめて、もう一度あなたに会いたい。
作者は左京大夫道雅。
この歌は、三条院の第一皇女との恋を裂かれてしまったときの歌です。
身分違いってことなんでしょうか?
なんとも悲しい歌・・・・。
「瀬を早み〜」
川の浅瀬の流れが早いために、岩にせき止められ左右に分かれてしまった激流もやがては、一つに落ち合うように、
あなたと私も、行く末で必ずお会いできると思っております。
作者は崇徳院。
この歌は宮中で愛し合う恋人同士を読んだ歌ですね。
彼自身は讃岐に流されて後、髪も爪も切らないで天狗のような生活をしていたらしく・・・・・。
こんな時代に、そんなワイルドな方が居たとは(笑)

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