魔法をかけて
過去の事に捕らわれるなんて、馬鹿げていると思う。
けれど。
彼と出会うまでの歳月分。
私が存在していない事は、埋める事の出来ない事実。
望美はふぅと、小さな溜息を落とした。
考えてもしょうがない事を考えるのはとても疲れるし、意味の無い事だと思いつつも
脳裏に浮かんでしまうのは友達に言われた一言が原因かもしれない。
『大人の男の人って、経験豊富そうだよね』
何気ない恋愛話に出てきたその一言。
特に気にかける程の事ではないのだけれど。
「あれあれ〜?望美ちゃんどうしたの?」
優しく声を掛けてくれる恋人は自分よりも遙かに大人で。
気遣う笑顔に切なさを抱いてしまう自分が少し変だった。
だから、口を吐いたのか。
こんな質問をしてしまう。
「景時さんって、どんな人と付き合って来たんですか?」
「え!?」
余りにも予想だにしていなかった質問に景時は素っ頓狂な声を上げてしまった。
「ど、どうしたの?望美ちゃん??」
「・・・・・ちょっと。気になって。」
ただの興味本位で聞いているわけでは無い事に景時はあっさり気付いた。
何故なら聞いてきた望美の顔は何処か遣り切れないような、苦苦しい顔つきだったから。
「どんな人って言われても・・・・・・。」
景時は返答に窮する。
確かに、武家の嫡男ともあろう男がいつまでも独り身であるのを世間が放って置くはずは無く、
しかも、『源氏の戦奉行』という肩書きと『頼朝の腹心』という立場からか。
少しでも自分の地位を高めたい者達が、こぞって娘を嫁にしようと躍起になったのは言うまでも無い。
それに。
景時とて、齢27の男。
数多の・・・・とは、いかなくてもそれなりの女性経験を積んでいたのは確かで。
けれど、正直。
『心から引かれる女性』という者にお目にかかった事は無かった。
ただ一人を除いて。
『でも、何で突然そんな事を?』
景時に心当たりはない。
けれど、よくよく思案してみると、やはり自分の方が大人なのか、ある憶測に行き当たる。
自分の知らない過去の事。
景時は優しく望美の傍に寄る。
「じゃあさ。望美ちゃんはどんな人を好きになったりしたの?」
質問に質問で返され望美はキョトンとした顔になる。
だが、景時はそれには目を瞑って、更に質問を続ける。
「優しい人?カッコいい人?」
「えっと・・・・まぁ。普通に。」
曖昧な返答。
それには小さく笑って、景時はなおも続ける。
「俺よりも素敵な人だった?」
その質問に望美は力いっぱい、首を横に振った。
「そんなこと無いです!!景時さんが一番ステキです!!」
「ホント!?ヤッタ〜〜〜♪」
景時は小躍りしだしそうなくらい、手放しで大喜びする。
望美はこの展開が上手く飲み込めずにいた。
そんな彼女に景時はいつもの笑顔で言う。
「ねぇ。望美ちゃん。俺もね、すっごく気になるんだ。」
「何がですか?」
「望美ちゃんが、昔どんな人が好きだったのかな?とか付き合ったりしたのかな?とか・・・・・。」
考えれば考えるほどそれは取り留めの無い話で。
「俺は、そんな人達と比べて望美ちゃんをどれだけ満足させてあげられてるのかな?とか。」
不安に思う気持ちは大人だって、同じ。
ただ、それを上手く隠せる手段を手に入れてしまってるだけ。
景時の思いに気付いて、望美は謝った。
「景時さん。ゴメンなさい。私、自分の事ばっかり・・・・・。」
「そんな事ないよ。俺だって、口にしないだけで同じ気持ちだったんだからさ。」
お互い様だよ〜と、軽い口調で言う景時に望美は笑顔を返す。
そして、景時は何かをひらめいた様に手を鳴らした。
「じゃあさ。魔法をかけてあげようか?」
「魔法・・・・ですか?」
「うん。俺も、望美ちゃんもそんな不安な気持ちにならなくなる、魔法。効果絶大だよ〜。」
そう、謳う景時を信じて望美は笑いながら頷く。
「それじゃあ、目を閉じて。」
景時の言葉に従って、望美はそっと、目を瞑る。
何も見えない状況で聞こえてくるのは景時の声だけ。
その唯一の声がポツリと呟いた。
――――― 愛してるよ。
そして、間髪入れずに望美の唇が優しく塞がれる。
息苦しささえも心地良いくらい甘い、甘い口付け。
望美の頭の中が景時でいっぱいになっていく。
それは、景時も一緒で。
望美の事だけで満たされていくのを感じた。
不意に、唇が離れ、望美は目を開いた。
目の前には少し照れ笑いを浮かべた景時。
「ど、どう?効果の程は。」
我ながら、なんて滑稽な質問。
けれど、望美はクスリと笑って。
「景時さんの言ったとおり。効果絶大でした。」
「ホント?良かった〜。」
「あ。でも・・・・・・。」
「ん?何??」
「不安にならないと、してくれないんですか?」
「そ、そんな事無いよ!」
景時はブンブンと首を横に振る。
「君が望んでくれるならいつだって。」
「それなら・・・・・。」
――――― もっと、魔法をかけて下さい。
頬を染めながら、望美は小さい声でそう、ねだった。