捕らわれの心










眩暈がする。

熊野のうだるような暑さの仕業でも、早起きの反動でもなく。

理由は恐らく、自分のやや前を歩く幼馴染だとかいう煩わしい関係の二人が目の前にいるからだろう。



「将臣くん。もっとゆっくり歩いてよ〜。」

「はぁ?十分ゆっくりだっての。これ以上チンタラしてたら日が暮れるぞ。」

「うぅ〜・・・・。か弱い乙女が助けを求めてるのに〜。」

「何処にいるんだよ、か弱い乙女は。」



何の変哲も無いやり取りの端々から、彼らの親密さが嫌というほど味わわされ、知盛は胸の奥底から

気持ちの悪い何かがこみ上げて来る。

と、同時に自分でも判る程、眉間に無数の皺が浮き上がった。

前を行く二人は相も変わらず笑顔を向け合い歩んでいく。

自分は手を伸ばしても、あの紫苑の髪一筋すら触れられないというのに。

この胸焼けは何だ?

出所も分からない焦燥感。

こんな訳の分からない感情に身を焦がされるくらいなら。

あぁ。

もういっそ斬ってしまおうか。

刀の柄に手をやり、ゆっくりと刀身を鞘から抜き出す。

一歩一歩、彼らの背後へ進んで行き、もう一歩踏み出した時。



「知盛!!知盛!!!いい加減起きなさいよ!!」



聞きなれた煩い声が耳を劈いた。

体を激しく揺すられ、叩かれ、知盛はわずかに目を開ける。

そこには柳眉を吊り上げて、少し怒った顔の少女が自分を見下ろしていた。



「・・・・・・夢・・・・・・か。」



そう、ここは勝浦の旅籠。

夢と同じ熊野の地ではあるが、まだ自分は布団の中だ。

柔らかい布の感触と、ぼやけた頭が先程の出来事が夢なのだという証拠。

けれども、ここ数日この少女と共に行動をとっている間、何度も目にした光景だ。

自分に向ける様々な顔、そのどれもが心を揺さぶる程美しい。

良い女だと思った。

姿形は元より、気の強い所も、芯の通った所も。

鹹かった後の、いちいち反してくる反応が可笑しくて、気付けば少女をいつも目で追っていた。

そうしていると、自然と目に付くのは『幼馴染』とうい肩書きを持つ将臣との関係。

自分には見せた事のない、無防備な笑顔。

それを惜しげもなく将臣に向ける姿。

見れば見るほど、思い返せば思い返すほど。

胸の奥から得体の知れない感情が渦巻いてこみ上げる。

ああ。本当に気分が悪い。

起き上がる気力さえ湧いてこず、知盛はぼんやりと天井を見上げていた。



「もう、寝ぼけてるの?早く起きてよ。お日様が上がったら暑くて移動できなくなるでしょ。」



口をへの字に曲げて自分を見下ろす望美の肩から、サラリと紫苑の髪が一筋落ちる。

知盛は片手を上げてそれに触れた。

絹糸に触れるように優しく。

夢の中とは違い、手を伸ばせばこんなにも容易く触れられる。

触れると同時に未だ胸に燻る感情が少し薄れた気がした。



「知盛?具合でも悪いの?」



何度声を掛けても起きない知盛に望美は気遣わしげな声をかけ顔を覗きこんだ。

大きな新緑の瞳の中で今、写っているのは誰でもない。

自分一人。

それが堪らなく胸を湧き上がらせ、知らず、口元が緩んだ。



「熱でもあるの?」



そう問いながら知盛の額へ望美は手を伸ばす。

すると、知盛は望美の髪に触れていた手を解いて、今度はその手を掴んだ。

突然の事に望美は驚き目を瞬く。

手を掴んだ知盛の顔をみると、紅い瞳は燃える様に強く光り、望美の胸はドクンと一つ大きく跳ねた。



「なぁ。・・・・・・お前は、誰の物だ?」

「はぁ?」



唐突に問われた質問は、全く望美には理解不能な台詞で。

一体、どこからそんな質問が捻り出されたのか理解に苦しむ。

けれど、答えるまで放さないとでも言うかのようにしっかりと掴まれた手を見て、望美は大きく溜息を付いて答えてやった。



「あのね、私は誰の物でも無いの。私は、私の物。」



紅い瞳に負けないように目に力を込めて見返すと、



「・・・・・そうか。」



驚く程あっさりと知盛は返事を返した。

少し肩透かしを食らった気分で望美はまた目を瞬くと、知盛はあっさり掴んでいた手を開放して緩々と立ち上がる。

先程までの寝ぼけた姿とは違って身支度を始めた。

今のは何だったのか?と、呆けて開放された手を見る望美に、知盛はニヤリと笑いかける。



「何だ?俺の着替えを拝んでいくのか?」



この言葉に、望美の顔が一気に赤く染まる。



「な!!そ、そんなの見るわけ無いでしょ!!」



勢い良く立ち上がり、



「早く着替えなさいよ!!!」



そう叫んで、一気に障子をスパーンと閉めて廊下を慌しく走って去っていった。

その様子に知盛はクククッと喉を震わせ笑う。




『誰の物でもない』・・・・か。

言ってくれるじゃないか。

俺の心をとっくに掴んでしまったくせに。

自分だけは清らかなままだとでも言うのか?



「・・・・・達の悪い女だな。」



ならば、酔わせてやろう。

甘い蜜に酔わされ狂おしくそれを求める蝶のように。

俺を求めて、気がおかしくなるほど。



知盛は身支度を済ませると、最上に唇を歪めて嬉しそうに待ち人の下へ歩いていった。




〜あとがき〜
望美ちゃん!!逃げて〜〜〜〜!!!!!





   
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