鬼さんこちら、手の鳴る方へ










それは、ある日の昼下がり。


昼食の片づけを終えた千鶴は竹箒を持って屯所の門前へやってきた。

空は晴天。

風も優しく凪いで日向ぼっこには最適であろう。

しかし、居候の身であるのだから何か役に立たねばと、千鶴は門前の掃除を始めるのだった。

と、そこへ。



「だからよ、チャンバラごっこでいいじゃねぇか。」

「やだよ。この前やったら途中から剣術の稽古になってたじゃないか!!」

「新八っさんは剣術馬鹿だからなぁ。」

「ま、子供の遊びって範疇におさまらねぇよな。」

「ん・・・・まぁ。そうなんだけどよ。」

「鬼ごっこがいいよ!鬼ごっこ。」



陽気な声と足音に千鶴は玄関先へ目を向けると、

そこには八木家の長男・勇之助と永倉・藤堂・原田の4人が草鞋を履いて出てきた。

藤堂は、竹箒を持ってこちらに視線を送る千鶴に気付くと、白い歯を覗かせる元気な笑顔で掛けよってきた。



「よお、千鶴。何してんだ?掃除??」

「うん。平助君たちは今からお出かけ?」

「ああ。今日は暇だからさ。勇之助と遊ぶことにしたんだ。」

「そうなんだ。天気もいいしね。」

「お前も参加しないか?千鶴。」



不意に、原田に誘われて千鶴は目を瞬く。



「え!?私ですか?・・・・・・でも、掃除が」

「別に、誰かに頼まれた仕事じゃねぇんだろ?」

「あ・・・・。はい。」

「じゃぁ、いいじゃねぇか。人数が多いほうが楽しいよな?勇之助。」

「うん!雪村も一緒に遊ぼうよ。」



勇之助の明るい笑顔に誘われて、千鶴も顔を綻ばせる。

仕事を投げ出すのは良くない事だが、折角の誘いを無下にするのも申し訳ない。

少し参加して、その後に掃除の続きをすれば良いだろう。



「それじゃあ、少しだけ。」



千鶴は一つ頷いた。

と。



「あれ?こんな所で何してるの?」



門前でたむろしている千鶴達に、巡察から戻ってきたと思われる隊服姿の沖田が声を掛けた。

その隣には斉藤の姿もある。



「あ!沖田!!」



彼といつも遊んでもらっている勇之助は声を弾ませて沖田に駆け寄ると、腕を引っ張りながら沖田の質問に答えた。



「これから皆で遊ぶんだ!沖田も一緒に遊ぼうよ。」

「へぇ。じゃあ、混ぜてもらおうかな。」



沖田の返事に勇之助は更に喜び笑顔が弾む。

そんな彼らの横を斉藤は無言で通り過ぎ邸へ向かう。

が、その斉藤に千鶴がふと声をかけた。



「あの、斉藤さんも如何ですか?」



突然の誘いに、斉藤は千鶴を見返す。

表情こそ乏しいが、彼は驚いていた。

正直、自分には『子供と楽しく遊ぶ』という才は無いと思っている。

それ故か、世話になっている八木家の子供とも面識はあるものの

総司のように自ら構って遊ぶことなどしたことは無い。

だが。

千鶴の後ろから勇之助が、何も言わずに斉藤をじっと見上げていた。

思わず斉藤は半歩程後づさる。

その小さな瞳には若干の好奇心が滲み、まるで未知の物を見るかのような眼差しである。

恐らくこれは、一緒に遊んでみたいという期待の眼差しなのだろう。

その視線に、斉藤はしばし考察した後。



「・・・・・・あい分かった。」



了承した。



「それじゃあ、僕達、隊服脱いでくるから待っててよ。」



そういい残し、沖田と斉藤は邸の中へ消えていく。

と、今度は彼らと入れ替わりに近藤が姿を見せた。



「おや?皆で何をしているんだい?」

「あ。近藤さん。今から皆さんで勇之助くんと遊ぶんです。」

「ほう。何をするんだい?」

「鬼ごっこだよ。近藤さんもする?」

「はは。いや。俺は今から出かける用事があってなぁ・・・。」



と、申し訳なさそうに言ったところで近藤は、はたと、動きを止めた。

そして、何やら良いことを思いついた顔で勇之助を見返す。



「そうだ。俺の代わりに、もう一人仲間に入れて欲しい奴がいるんだが。良いかな?」

「うん。いいよ。」

「それじゃあ、少し待っててくれ。」



近藤は踵を返し走っていった。

一体、誰を代わりに連れてくるのだろうか?

皆が首を傾げていると隊服を脱いだ沖田と斉藤が戻ってきた。



「お待たせ。じゃあ、行こうか。」

「ああ。ちょっと待ってくれよ。近藤さんがもう一人参加させてくれって。」

「近藤さんが?」



沖田が聞き返していると、玄関に向かってバタバタと忙しない足音が近付いて来る。



「おいおい。何だってんだよ。俺は今、大事な書類をだな・・・・。」



近藤が、困ったように抗議をする土方を強引に引っ張ってきた。



「まぁまぁ。書類は後でも良いじゃないか。」

「後でもって・・・・・。今片付けられるなら、今したほうが良いじゃねぇか。」

「む・・・・。そ、それはそうだが。きょ、今日は良い天気だし、その。少しでも外の空気を吸ったほうが・・・・。」

「そんなもん、障子を開けときゃ吸えるだろうが。」



土方の返答に近藤はしどろもどろになっている。

と、二人のやり取りを呆然と見ていた一同に土方は気付いた。



「何だ、お前ら。どっかに出掛けるのか?」

「いや。俺たちはこれから勇之助と鬼ごっこを・・・・。」



そう、新八が返事をすると近藤はパッと表情を輝かせて土方に言った。



「そうだ!トシ。これは鍛錬だ。今から皆で鬼ごっこを模した鍛錬をするんだ。鍛錬には監督役が必要だろう?
 だからトシにそれを頼みたいんだ!やってくれるか?」



そうまくし立てた近藤に土方は「はあ?」と呆れたように問い返す。



「鍛錬だぁ?単にこいつ等子供と遊んでやるだけだろう?そんなもんに監督なんざいらねぇだろうが。」

「い、いや。鬼ごっこといっても足腰を鍛えるわけで・・・・・・。」



尚も食い下がる近藤を見て、皆彼の思惑に思い当たる。

土方はここ連日連夜、必要な時を除いてはほぼ自室に閉じこもり切り書類の整理やら事務作業に没頭していた。

思えば彼の姿を久しぶりにみたかもしれない。

そんな土方に、近藤は少しでも息抜きをして欲しいと考えたのだ。

『監督』という名目ができればきっと外に出て少しは気分転換になるのではないかと。

土方を案じての策だったのだが。



「だから、『監督』なんざ必要ねぇし。俺は仕事に戻らせてもらうぜ。」



取り付く島もない土方によって近藤の思惑も丸つぶれになる。

と、土方に断られガッカリした近藤に沖田が笑顔で言う。



「駄目ですよ。近藤さん。あまり無理を言ったら。土方さんてば、部屋に閉じこもり切りですっかりモヤシみたいになっちゃって、
 負けたくないから断ってるんだから、察してあげなくちゃいけませんよ。」



いつも通りのにこやかな笑顔と声で言った沖田の言葉に、

背を向け部屋へ戻ろうとした土方の足が止まる。

そして、ゆっくり振り返り沖田を睨む。



「おいこら。誰がモヤシだって?」

「あれ?聞こえませんでした?土方さんの事ですよ。」



沖田はいけしゃあしゃあと答える。



「大丈夫ですよ、土方さん。もやしはもやしらしく、ずっと部屋に引きこもっていて下さい。」



満面の笑顔で言う沖田の言葉に土方は目を吊り上げる。



「だから!誰がもやしだ!」

「土方さんって言ってるじゃないですか。嫌だなぁ、耳まで悪くなっちゃって。
 これじゃあ、おじいさんじゃないですか。
 新撰組の副長が体にガタが来たおじいさんだって知られたら浪士達に舐められますね。
 ご隠居したほうがいいんじゃないですか?」

「てめぇ、言わせておけば・・・・・誰が隠居じじいだよ。俺はガタなんか来てねぇよ!」

「へぇ、じゃあ証拠見せて下さいよ。」

「ああ、望むところだ。鬼ごっこでもチャンバラでもしてやろうじゃねぇか!!」



こうして売り言葉に買い言葉の末、土方の参加が決まった。





壬生寺・境内。

浪士達が恐れおののく新撰組幹部達が、鬼ごっこの為に集結した。

その面子は、さながら大捕り物にでも向かうようである。



「んで?鬼は誰がするんだ?」

「土方さんでいいんじゃないですか?鬼の副長だし。」

「『鬼の副長』は関係ねぇだろうが!」

「あれ?土方さん自信無いんですか?やっぱりもやしだから。」

「お前は・・・・・。分かった。鬼でも何でもしてやろうじゃねぇか、十数えたら始めるぞ。」



またも飛び出す沖田の挑発に、土方は一息深呼吸をいれる。

思えばこいつの安い挑発に乗った為にこんな面倒事に巻き込まれたのだ。

自室の文机の上の山のような書類を思い返せば、ここで長々と遊んでいる暇など無い。

こんな馬鹿げた遊びは早々に切り上げてしまうに限る。

と、鬼を引き受けた土方は数を数えだした。

要は、さっさとこいつ等全員を捕まえればいいわけだ。

そう時間も掛かるまい。

土方が十数え終わる前に皆、彼から距離を置くように境内を散り散りに走り出した。

と、そこへ。

今度は散歩中であろう山南がやってきた。



「おや?皆さん、こんなところで何を?」

「あ、山南さん。その、今から『鬼ごっこ』を。」



千鶴が応えると山南は不思議そうに首を傾げる。

無理も無い。

新撰組の幹部と、副長までも揃って、やっている事は鬼ごっこなのだ。



「一体、何故そのような事に・・・・・。」

「それは・・・・・・。」



訝しむ山南に千鶴が事情を説明すると、みるみる山南の顔が笑顔になっていった。



「そうですか。局長命令とあらば仕方在りませんね。」



そして、山南は笑顔のまま、数を数え終わり面倒そうな土方と、散り散りになった隊士達へと向き、一つの提案をした。



「どうでしょう?折角『鍛錬』と言われているのですから本気でやってみては。」

「本気って・・・山南さん。只のガキの遊びにどう、本気になれってんだよ。」



土方が呆れ気味に、そして非常に面倒臭そうに言う。



「では、最後まで捕まらなかった者には賞品をつけるというのはどうでしょう?
 何でも欲しい物を土方くんが叶えてくれるというのは?」



山南の提案に場が一瞬静まり返る。

が、直ぐにどよめきが起こる。



「ちょっ!!待て、山南さん!!何で俺がこいつらの願いを叶えるんだよ!?」

「おや。これは『鍛錬』なのでしょう?これくらいしなくては彼らは本気を出してくれないと思いますよ。」

「だからってなぁ。」

「なに、問題ありませんよ。君が全員を捕まえれば済むことです。」



さらりと、言ってくれる山南に、土方は『出来ない」など、言える訳が無い。

土方が押し黙ったのを肯定と受け取った隊士達は様々に声を上げた。



「いいいいいよっしゃあああああああ!!!!!!!島原で豪遊だぁぁぁぁぁ!!!!!」



永倉は拳を天へ突き上げ大絶叫する。

彼は、もう勝つ気満々のようだ。



「んじゃ、俺は酒でもおごって貰おうかな。もちろん、上等な奴。」

「あ、俺も、俺も!!」



どうやら原田と藤堂もお願い事は決まったらしい。

ヤル気を出して準備運動を始める。



「じゃあ、僕は土方さんの持ってる素晴らしい句集を貰おうかなぁ。」

「なっ!!総司お前!!」

「そんなに素晴らしい句集をお持ちなんですか?土方さん。」

「うん、手に入ったら今度見せてあげるね。」



興味をそそられて尋ねた千鶴に沖田は楽しそうに返事をしている。

コレは、何があっても阻止せねばならない。

土方は奥歯をギリギリとかみ締める。



「山南さん。お言葉ですが、副長にそのような事をさせるわけには・・・・・。」

「あれ?いいの?一君。もしも勝ったら『石田散薬』が山のように貰えるかもよ?」



沖田の一言に、異を唱えていた筈の斉藤の動きが止まる。

そして。



「副長、頑張ってください。」



励ましの声援を送った。

斉藤一、参加決定。



「では、時間も決めずにやるのもいけませんからね。八つの鐘が鳴るまでとしましょう。・・・・・それでは皆さん頑張って下さい。」



山南が極上の笑顔で開始を告げた。

と、その途端。



「な、なぁ・・・・・。左之さん・・・・・。俺の気のせいかな?土方さんから何か出てない??」



次々と参加を決めていく隊士達に背を向け押し黙っていた土方の肩からは禍々しい気が発せられていた。

それは、死地を乗り越えてきた者には良く判る、いわば殺気というもの。

平助が恐る恐る原田に尋ねると、土方がゆっくりこちらを見た。

その目は気のせいか赤く光り、眼光は鋭く、皆、一歩後づさる。



「平助。気のせいじゃねぇ。『鬼の副長』が正に『鬼の形相』でこっちを見てるぜ。」



土方の本気に火がついた。



「てめぇら!大人しくしやがれ!!!!」



怒鳴り声と共に、土方は全速力で隊士達目掛けて走ってきた。

その形相は、原田が形容したとおり『鬼の形相』で、捕まったら最後。

命の危険まで脅かす程恐ろしいものであった。



「うわぁぁぁぁぁ!!!!」



大絶叫の中、隊士達は縦横無尽に境内の中を『鬼』から逃げ回るのだった。





太陽が真上からやや下がると、ゴーンと八つの鐘が鳴り響いた。

それは鬼ごっこの終了を告げる合図。

全速力で追いかけ、逃げ惑った面々は、ゼーゼーと荒い息を吐きその場にバタバタと倒れ込んだ。



「ちくしょーーーー!!!あともう少しだったのに!!!」

「ありえねぇ!土方さん、何であんなに速ぇんだよ!!」



心底悔しそうに、永倉と藤堂はがっくりと肩を落とした。



「あ〜あ。残念。 ひきこもりのおじいさんなんかには絶対負けないって思ってたのに。」

「流石は副長。御見それいたしました。」



つまらなそうに口を尖らせる沖田の横で斉藤は、土方へ賞賛を送るが

屈強な幹部隊士達数人を相手に追い掛け回した彼は、

そんな言葉に礼の一つも返す余裕は無く力なくその場に座り込んだ。

と、それらを傍観していた山南がパチパチと拍手を贈った。



「流石は土方君。いや、お見事です。」



仕掛け人はニコニコと柔和に微笑んでいる。

その山南へチラリと視線を移すと土方はまだ落ち着かない息の狭間から声を振り絞る。



「これで、くだらねぇ『賞品』とやらはチャラなんだよな。」



『最後まで捕まらなかった者には賞品』しかも土方持ちという余りにも横暴な提案は、

隊士達を捕まえた事で却下になるはず。

土方の確認の言葉に、山南はニッコリ笑って予想外の答えを出す。



「いいえ。チャラではありませんよ。」



これには一同、目を剥く。

一番驚いたのはもちろん土方だ。



「は!?どういうことだよ?全員捕まえたじゃねぇか。」

「土方君。ちゃんと数えて見てください。」

「数えるも何も・・・・。総司に新八。斉藤に平助に原田。全員捕まえたぞ。」



不満を滲ませた声で数えると、山南はクスリと笑うと。



「それから、雪村くんと、勇之助くん。それから私。ほら、捕まえ損なってますよ。」



何とも優しい笑顔で教えてくれた。

今まで、完璧に傍観していた千鶴と勇之助は驚く。

まさか、自分達もこの横暴な提案の中に組み込まれていたとは、露ほどにも思わず、

また、山南が参加していた事にも気付かなかった。



「・・・・・なっ!山南さん」

「おや?土方副長ともあろう方が約束を無にされるんですか?」



驚いたような表情で問う山南に、土方はギリギリと奥歯を噛み締めるが直ぐに、ハァと疲れた溜息を零し。



「で?何が望みだよ?」



仏頂面で勝者らしい3名へ視線を向けた。

これ以上山南と言い合いをしても向こうのほうが何枚も上手。

言い争うのも今は億劫なほど疲れきってしまった彼は、好きにしてくれと言わんばかりに投げやりな態度になる。

そんな彼を横目に山南は千鶴と勇之助に微笑みかけた。



「では、お願い事は何にしましょうか?」

「え!?ほ、本当にお願い事をするんですか?」

「ええ。もちろんです。勇之助君は何が良いですか?」

「ぼ、僕?えっと・・・・えっと・・・・。」



降って湧いた話に勇之助は小さな頭を抱える。

そんな彼の肩を誰かがポンと、優しく叩いた。

見上げれば、胡散臭い笑顔の永倉が隣にいる。



「勇之助〜。何も浮かばないなら、俺が代わりに考えてやろうか?」



怪しさ満点の永倉は猫なで声で勇之助に提案するが、対する勇之助は。



「どうせ、酒とか言うんだろ?永倉は。」



何とも冷ややかに言い放つ。



「な、何で分かるんだ!?お前、人の心が読めるのか!?」

「新八っさんの普段の行動を見てれば、分からない方が変だって。」



藤堂に厳しい突込みを入れられている永倉を無視して、勇之助はまたう〜ん・・・・と悩む。

その横で、千鶴も困ったように眉根を寄せた。

『お願い事』と言われても一体どうしたら良い物か。

すると、今度は千鶴の肩を優しく叩かれた。



「千鶴ちゃん、お困りならこの永倉が・・・・・。」

「だ〜から、お前は酒って言わせる気だろうが!」



原田が、胡散臭い永倉の頭を力いっぱい小突いた。



「それなら、千鶴ちゃん。僕が相談に乗ってあげようか?」



と、何とも優しい声音の沖田が『相談』を持ち掛けてきた。

が。



「総司。雪村自身が考えねばならぬ事だ。余計な口出しをすべきではない。」

「別に、ただ僕はどうせケチな土方さんから問答無用で色々してもらえる機会は滅多にないんだから
 最大限に利用した方がいいって教えてあげるだけだよ。
 ほら、さっき見せてあげるって言った句集とかさぁ、今じゃなきゃ大っぴらにみれないじゃない。」

「やはり、それが目当てか。雪村、総司の言うことなど気にする必要は無い。己で決めると良い。
 ただ、副長は普段から気苦労の耐えぬお方。あまり無茶な願いはするべきではない。」

「はい。」

「あれ?一くんだってこの子に口出ししてるじゃない。」

「これは助言だ。」

「同じようなものでしょ。」

「御託はいいから!早く決めろ。」



もう一度文机の上の書類を思い出す。

その『お願い事』とやらもさっさと片付けて仕事に戻りたいのだ。

すると、山南は懐から巾着を出し小銭を出すと土方に手渡した。



「では、墨と筆を買ってきて下さい。」

「・・・・・・は?」

「おや?聞こえませんでしたか?」

「い、いや。聞こえたが・・・・・。そんなんでいいのか?」

「はい。ちょうど切らしていて。買いに行かねばならないところでした。よろしく頼みます。」

「あ、あぁ。」



土方は何だか肩透かしをくらったような気分になる。

山南のことだから、もっと無茶振りでもしてくるのかと思ったのだが・・・・・。

そのやり取りを見て、今度は勇ノ助が手を上げた。



「じゃあ、僕大通りのお茶屋さんの団子が食べたい!!」

「は?団子??」

「うん!!」

「あ、あぁ・・・・。かまわねぇけど。」

「なんだよ、皆。パッとしねぇな。」

「お前が無茶苦茶過ぎるんだよ。」

「んで?千鶴はどうするんだ?」



他の2人が願い事を決めて、残るは千鶴の願い事。

千鶴は心底悩んだ。

土方には、申し訳ないほど沢山世話になっている。

それに、食事する暇さえない多忙な彼にこれ以上迷惑を掛けたくはない。



「あ、あの・・・・。私、お願い事は特に無いので・・・・・・。」



おずおずと、申し出を断ろうとした。

すると土方が。



「変な遠慮なんかしてんじゃねぇ。何でも良いから言え。」



有無を言わさぬ口調と、それとは反対の優しい笑みで、千鶴を促した。



「お前が無いって言うなら、他の2人の分も無しだ。」



そして、ごり押しとも言える止めの一言を言う。

これには、千鶴も断る事など出来ない。



「わ、判りました・・・・・・。えっと・・・・・それじゃあ・・・・・。」



千鶴は必死に頭を捻る。

お願い事・・・・・お願い事・・・・・・。

土方さんの重荷にならないような、お願い事・・・・・。

う〜ん、う〜ん。と、頭から湯気がでそうな程悩んだ千鶴は、途端。

何かを思いついたように目を見開くと、土方へ向き直り明るい笑顔を向けた。







「お前・・・・・。もっと我侭になってもいいんだぞ?」



山南に頼まれた、墨と筆を買い店を出た所で、土方は呆れ気味に嘆息した。

土方は今、千鶴と一緒に町中に来ていた。

目的は、山南と勇の助に頼まれた『お願い事』を叶える為。

そして、千鶴からのお願いである『夕食の買出しに付き合って下さい』と、いう要求に応える為である。



「え??どうしてですか?」

「考えてもみろ。新八は島原で豪遊、原田と平助は酒だなんだと滅茶苦茶な要求だして来やがったのに、
 お前は散々悩んだ挙句、買出しの手伝いかよ。」



勝者であるらしい山南や勇の助でさえ、自分の欲しいものを口にしたというのに、千鶴の願いには何処にも、己の欲求が見当たらない。

第一、夕食の買出しぐらいなら、用事が無ければいつだって手伝ってやるというのに。



「す、すみません。でも、私嬉しいですよ。こうして土方さんと買い物に出掛けられた事。」



何の打算もないまっさらな笑顔でそう言われて、土方も釣られて口角が緩む。

ふと、見上げた空は夕暮れが近付いている為か少し橙が混じった美しい色。

そういえば、ここ数日は部屋に閉じこもり切り、それ以外の日でも多忙が続いて、空を見上げる暇など無かった。

先程、無理やり自分を連れ出した近藤の言葉を思い返す。



『今日は良い天気だし、その。少しでも外の空気を吸ったほうが・・・・。』



確かにそうかもしれない。

窓を開けて空気を吸うよりも、こうして表に出て空気を吸うほうが遥かに心は解れる。



(近藤さんなりに、気を使ってくれたって事か・・・・・。後で、礼をしなくちゃな。)



土方はクスリと、笑う。

そして、隣を歩く千鶴を見た。

もしかしたら、彼女も彼女なりに、気を遣ってくれたのだろうか?

頼まれたからと、一人で買い物に行くよりも、誰かと連れ立って行くほうが気は紛れる。

その推測は余りにも彼女らしくて、確信出来るほど。

千鶴のそんなお人好しな所が何だか愛らしく思えて、土方は思わず頭をポンと、叩く。

どうしたのかと、千鶴が見上げた土方は、とても柔らかな眼差しを向けていた。



「ありがとな。」



不意に零した土方の言葉に千鶴は目を瞬かせ、驚いた。

何故、礼を言われたのか判らないと、言った顔だ。

土方はそれ以上、その事には触れず。



「お、大通りの茶屋ってのはあそこか?」



斜め前の茶店を見つけそちらに向かって歩いていく。

困惑していた千鶴も、土方に遅れまいと慌てて後を追った。

夕食にはまだ時間はある。

少し多めに買って行って、皆で茶を啜りながら食べるのも悪くないな。

そう考えて、土方は頼まれた分より多めに団子を注文するのだった。




   
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